中東旅行記 トルコ イスタンブール:94年中東旅行の思い出パート1

トルコイスタンブール魚屋

今から約20年前の1994年に中東旅行へ行った時の写真を先日発見した。出来のいい写真は少ないが、特にガザ地区は今後も一般人は立ち入りができないかもしれないので、自分にとって貴重な経験になったし、せっかくの機会なのでなにか書いてみようと思う。

発見したのはネガだけだったので、カメラのキタムラのデータ変換サービスを利用。白黒とカラーのフィルムが両方合わせて8000円以上かかったがその価値はあった。白黒フィルムは当時僕が趣味で使っていただけであり、今から20年前と言えども一般ユーザーには、白黒フィルムはすでに使われていなかった。

トルコイスタンブールサンドイッチ屋

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聖書の舞台:中東旅行へでかけたきっかけ

パレスチナというのはいつの時代にもニュースになる場所である。なにしろ聖書の時代から話題の中心なのだ。僕は当時アメリカに住んでいたため、この種のニュースに触れる機会が日本に住んでいた時より多かったと思う。学校にはアラブ人の友人も何人かいた。

ニュースを見るたびに、中東というのは日本やアメリカとはまったくの別世界なのだろうと想像していた。聖書の舞台というのもすごい。何千年も昔に書かれた話の舞台が実在しているのである(ハリーポッターなどのファンタジー小説には、街のモデルや撮影場所は存在しても、街自体が実在するわけではない)。

そのような場所で実際に暮らしているのはどんな人で、どういうことを考えているのだろうかということが気になり、自分の目で確かめるために中東へ行くことにした。特にガザには行きたいと思っていたが、日本とは別世界であろう町の風景を見て地元の人と少しぐらい話をしてみたいという程度で、特に高尚な理由があったわけではない。どうやって行こうかなども考えていなかったが、ガザ入りについては幸運にめぐり合い実現することができた。

当時のパレスチナ情勢

僕がガザを訪れた1994年はパレスチナがわりと平和な時代だった。前年の1993年にアラファト議長率いるPLOが、イスラエル政府との間にオスロ合意という協定を結んだ。簡単に言うとパレスチナの自治を拡大して、イスラエルとパレスチナの二国家並存を目指す計画(だと思う)。住民の安楽な生活を実現させる足がかりとなるはずだった。この協定を調印したアラファト氏、イスラエルのラビン首相、ペレス外相は翌年にノーベル平和賞も受賞した。

このような時代背景もあり、僕のような一学生でも苦労もなくガザ地区へ入ることができた。それでもガザは観光地ではなかったと思うが、ホテルもあったし、地中海で海水浴もした。最近のパレスチナ史上では特別平和な時代だったのかもしれない。

中東旅行のルート

1994年の7月に僕は約1ヶ月間、トルコ、ヨルダン、イスラエルを周った。決まっていたのは僕が住んでいたニュージャージー州にあるニューワーク空港とトルコイスタンブールの空港の往復のみで、ホテルや移動手段は行き当たりばったりでその都度決定していた。行きたいところのめぼしはだいたいつけていたが、ネットがない時代だったので移動手段などもガイドブックを見るぐらしか調べようがなかった。もちろん携帯電話もなかったが、今こんな条件で旅行をできる自信はない。

トルコイスタンブールアイスクリーム屋

ニューワークからトルコへ

ニューワーク空港からトルコ航空でイスタンブールまで飛んだ。トルコはイスタンブールのみの訪問となった。トルコは物価が安くて空港で200ドルを両替したら、現地通貨で札束が出てきたことに驚いた。食事はビールを含めて飲み食いをしても二人で500円もかからないぐらいだったと記憶している(今はもっとするだろう)。

イスタンブール 橋の上の屋台

トルコでは歩いている時や食事中によく地元の人から話しかけられた。ガイドブックには睡眠薬を飲まされることもあるので、やたらと親切な人には注意と書かれていたが、単に日本人に興味があるだけのようにも思えた。

トルコと日本の関係について語るときによく出てくるのがエルトゥールル号遭難事故だが、この話はネットのない当時の日本ではほとんど知られていなかった。しかしトルコでは有名で、僕も後からこの話を知ってやはりトルコ人はただひたすら親切なだけなのだろうと確信を持った。結局旅の終わりまで睡眠薬を飲まされることはなかった。

イスタンブールの通り

チャイを飲んでトルコ人と親睦を深める

トルコの人はチャイをよく飲んでいた。チャイというのは小さいひょうたん型のかわいいグラスに入った紅茶で、砂糖をたくさん入れて甘くして飲むのが基本。店や家の前の椅子に座って外で飲んでいる人が多い。

とにかくいろいろな人がチャイをごちそうしてくれた。最初は警戒していたが、途中からは誘われればほとんど飲んでいた。このグラスは日本では見たことがないような変わった形で、この旅行で唯一買ったみやげ品となった。

トルコはじゅうたんが有名でじゅうたん屋が多い。じゅうたん屋のチャイにも何度も誘われよく飲ませてもらっていた。その都度一応みやげにじゅうたんを買って帰ったらどうだと言われるが、僕はじゅうたんを買う予定はなかったし荷物にもなるので申し訳ないが断っていた。当時大きいサイズで500ドル前後だったと記憶している。金銭的にも買うのは無理だった。

いつも通り成り行きでチャイをしていると、あるじゅうたん屋のご主人から、玄関マットほどの小さいじゅうたんを逆にいただいてしまったことすらあった。そのじゅうたんは20年経った今でも大事に使っている。店の名前がわかれば声を大にして宣伝をしたいところだが、さすがに覚えていない。とにかくテシェキュレデリム(ありがとう)。

アヤソフィア@イスタンブール

イスタンブールではモスクを見学したり、町で知り合った人と一緒に夜ベリーダンスを見に行ったりもした。さすがに夜に酒を飲みに出かけるのは若干心配だったが、この時も特に問題はなかった。

トルコはヨルダンとイスラエルをまわった後に帰りの飛行機に乗るためもう一度入国したが、残念ながら結局イスタンブールのみの滞在になった。そして中東旅行記パート2へ続く。

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