ヨルダンでぺトラの遺跡見物:94年中東旅行の思い出パート2

トルコからヨルダンへ

 ヨルダンの首都アンマンには夜中の到着となった。ホテルも取ってないのでどうしようかと思ったが、空港スタッフのおじさんにタクシーとホテルを紹介してもらった。おかげでタクシーもホテルも(おそらく)ぼられることもなく、リーズナブルな金額で済ませることができた。アラブ人も親切である。

ヨルダンのホテル

 ヨルダンではペトラの遺跡を見るのが目的だった。アンマンからペトラまでは、バスもあったと思うがタクシーで行くことになった。このタクシー運転手は途中で自宅に寄って飲み物をごちそうしてくれた。チャイだったかコーヒーだったかはよく覚えていないが、チャイだったような気がする。とにかく甘かったことだけは間違いない。チャイにはしょうがを入れる場合もある(ちなみにイスラエルに入ってからもチャイに誘ってくれるのはすべてアラブ人で、この旅ではイスラエル人との関わりはほとんどなかった)。首都アンマンから砂漠をひたすら南下する。

アンマンからペトラへ ヨルダンの砂漠

 ペトラは崖の間を通る細い道を歩いていくと、急に秘密の空間が開け神殿が登場するという感動的な遺跡である。しかしなぜか僕はここでほとんど写真を撮っていなかったようだ。残念。ちなみにペトラでは峡谷の道の往復で観光用の馬に乗ったが、帰りに馬が姿を見せなかったので歩いて帰った。しかし入口で係員に文句を言ったら、警察官詰所に連れて行かれて彼らが代金を返してくれた。ちょっと文句が言いたかっただけなのだが、警官たちは「おれたちが処理しておく」というようなことを言っていた。彼らがどう処理するつもりかはわからないが、馬引き少年のことが少し心配になった。

ペトラの遺跡@ヨルダン

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現地の人達と話すと必ず宗教が話題になる

 日本では日常生活に宗教が出てくることはまずないし、特定の神様をあがめている人もほとんどいないだろう。僕も自分は無宗教としか言いようがない。だが世界的に見ればむしろ日本人が特殊なのだと思う。聖書発祥の地である中東の人達は、宗派にかぎらず誰もが宗教に熱心である。チャイに誘われて話を始めると、必ず最初に「おまえは何教徒だ?」と質問される。

 僕は無宗教なので最初は「宗教はありません」と答えていたが、それでは納得してもらえないことが多い。熱心な方の中には「宗教なしで生きている」という状態を理解できない人もいた。そういう人に無宗教と言い張ると、自分は真剣に話をしているのに、こちらがふざけていると思われ、険悪な雰囲気になることもあった。それも困るので僕は便宜的に仏教徒と答えるようになった。日本人なら仏教徒と言えば誰もが納得してくれた。

嘆きの壁@エルサレム

ヨルダンからイスラエルへ

 ヨルダンからイスラエルへは陸路で入国した。ヨルダン名キングフセイン橋、イスラエル名アレンビー橋という国境の橋をバスで渡った。ここでは入国スタンプを押してもらえなかった記憶がある。

イスラエルとヨルダン国境の検問所

イスラエルでは死海、テルアビブ、エルサレムなどをバスで巡る。イスラエルのバスでは兵隊をよく見かけた。彼らは銃を持ったままバスに乗っていた。

バスに乗り込むイスラエル兵

そろそろ本命であるガザ地区へ行きたくなってきた。当時はわりと平和な時代だったのでバスやタクシーでも行けないことはなさそうだったが、ガザというのはおそらく観光地ではないだろうしなにかと不安もある。しかしガザ行きに関しては幸運にめぐり合うことができ、それほど苦労をせずにガザ入りを果たせた。中東旅行記パート3へ続く。

パレスチナのガザ地区へ行った:94年中東旅行の思い出パート3
ガザ記へ入る前にパート1からの引用だが、当時のパレスチナ情勢について最初にもう一度書いておく。当時のパレスチナ情勢僕がガザを訪れた1994年はパレスチナがわりと平和な時代だった。前年の1993年にアラファト議長率いるPLOが、イスラエル政府との間...
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